神道の聖地

神道の聖地

仏教では位牌を仏壇に納めて供養しますが、神道では白木造りの霊璽(れいじ)を御霊舎(みたまや)に納めてお祀りします。 日々のお祀りは神棚と同じようにお供えをしてお参りしますが、順番は神棚のあとになります。

ちなみに仏教では現世の名前とは別の戒名を付け、功徳を積んだ僧侶により迷わず極楽浄土に行けるよう供養してもらいますが、神道では現世の名前のまま高天原(たかまがはら)に行き、子孫を見守ります。 神主は家族に代わって祭儀を行うに過ぎないのです。

高天原とはどういう場所なのでしょうか。そもそも神道というのは、一言でいうと、高天原信仰であると言えるのです。神道は習俗から自然に発生した民族宗教で、キリスト教で言うイエス・キリストという神さまの人格神にあたるのが、高天原(たかまがはら)という聖地になるのです。

神道に経典や教義、戒律がなく、絶対神がいないのは、神格にあたる高天原が、言挙げをしない(自分の意志をはっきりと声に出して言うことをしない)非人格の聖地だからだそうです。古事記と日本書紀では、内容にちがいがあるものの、日本にも、造化三神(ぞうかさんしん)による天地創造の神話があるのです。造化三神とは天地創造、万物生成の大事業を行った“天之御中主神”、“高御産巣日神”、“神産巣日神”の三柱で、日本神話の根元神になります。

けれども、天地創造したあと、造化三神はすがたを消して、二度とあらわれません。造化三神は、高天原そのもののことであり、この世の神ではなかったからなのです。そののちに登場してくるミコト(尊・命=いのち)も、崇拝の対象となる神ではありません。

神道の神格は、あくまで、高天原で、ミコトは、高天原の力をそなえたこの世の英雄や巫女、神官、あるいは、日本人の祖先たちであるというわけです。歴代天皇は最高神官で、天照大御神や卑弥呼は、巫女だったのです。神社は祈りの場であり、そして高天原につうじるこの世の異空間とされています。高天原とこの世は、神社や鎮守の森でつながっているのです。神社で祈りを捧げる人の中には天照大御神を拝んでいる方も多いと思いますが、知らなかった方には驚きの話かもしれませんね。